日本キリスト教団武蔵野教会

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1929年4月 東京神学社神学専門学校を卒業した徳沢清子(とくざわきよこ)が、自宅を開放して「長崎町婦人講話所」を開設し、若い女性を対象にキリスト教を伝えようとしたのが始めです。女性の社会的活動があまり認められていない時代でした。
1930年5月 教会組織が整い、日本基督(キリスト)教会「武蔵野伝道教会」となりました。
1931年 清子牧師は熊野義孝(くまのよしたか)牧師と結婚。
ともに教会を担任し、義孝牧師は在任50年、清子牧師は在任65年に及びました。義孝牧師はまた神学教師として、神学校における教育活動にも尽くしました。
日本基督教会は、独立・自治を重んじ、日本における教会の形成のために努力した教派で、その中心で大きな働きをしたのは植村正久牧師です。両牧師とも植村牧師とはゆかり深く、清子牧師は植村牧師のおられた富士見町教会に育ち、義孝牧師も、植村牧師の東京神学社神学専門学校に学び、卒業後も植村牧師に師事しつつその晩年の伝道を助けました。
椿憲一郎・椿 信子両牧師は東京神学大学に学んだ当時、この教会において教会生活を共にし、1981年から担任教師として熊野両牧師を助け、後任を受け継ぎました。
2006年、佐々木潤・佐々木香理両牧師が就任。椿両牧師は、2007年3月まで、26年間担任されました。
1941年 日本におけるプロテスタント諸教会の合同により、「日本基督教団武蔵野教会」と改称し、現在に及びます。

聖書の中に、「私たちはイエスを見たことはないが、これを愛し、今見ていないけれども、これを信じて、言葉には尽くせない喜びを抱いている。これは信仰の実として魂の救いを得ているからである」という意味の言葉があります(ペトロの手紙一、1章8節)。
また、「信仰と希望と愛、この三つはいつまでも存続する。その中で最も大いなるものは愛である」と、信徒パウロは語っています(コリントの信徒への手紙一、13章13節)。
わたしたちはこのような信仰の希望と喜びをもって、いまも礼拝を共にしています。

上記の牧師たちの他に、斎藤昭夫、小倉嗣夫、秋山英明牧師が一時期、協力くださいました。武蔵野教会出身・関係牧師、70名以上が日本国内外の各地において、牧師・神学教師・キリスト教学校教師・病院チャプレンとして働いておられます。

 熊野義孝牧師は、日本を代表する神学者でもあり、その業績は『熊野義孝全集』(全12巻、別巻2巻)に収録されています。また、資料として『熊野義孝の神学』(論文集)、『追憶 熊野義孝先生』、『熊野義孝・清子先生と武蔵野教会』(新教出版社刊)があります。
 熊野清子牧師には、説教集『み言を求めて』、『神に喜ばれ、神を喜ぶ』(新教出版社刊))、『主の義をまといて』(教文館刊)があります。
 椿憲一郎牧師には、説教集『主の名によって集まるところには』、訳書にJ.S.ステュアート『受肉者イエス』、J.デニー『キリストの死』(いずれも新教出版社刊)があります。
 椿信子牧師には、説教集『命の光の中を歩む』(新教出版社刊)があります。



 武蔵野教会の関係教会と伝道所

日本基督教団 所沢武蔵野教会
(埼玉県所沢市)
1952年9月に当教会の開設した西所沢伝道所が、のち独立して成長、発展いたしました。
日本基督教団 所沢武蔵野教会
日本基督教団 武蔵野横須賀伝道所
(神奈川県横須賀市)
当教会が1982年10月に開設しました。
日本基督教団 武蔵野横須賀伝道所
日本基督教団 弦巻教会
(東京都世田谷区)
1956年当時の当教会担任教師であった川村輝典牧師による自給開拓伝道に始まり、今日の発展に至りました。
日本基督教団 弦巻教会
荻窪南伝道所
(東京都杉並区)
当教会出身教師、鳥山明子牧師が、1966年に自宅(東京都杉並区)において自給開拓伝道を開始して、2007年3月末に解散に至るまで約41年間伝道に尽くされました。